ゴミゼロ一眼レフ in 台湾

日本列島では強い冬型の気圧配置が続いていたため、
それを逆に利用してみようと台湾の中部に滞在して来ました。
台湾の東側には3000メートルを超える山々がそびえ立つ事から、
冬の季節風による湿った東からの風を押し上げ、山脈の東側には雨を、
西側には乾いた晴天をもたらすだろうと予測。これがズバリ的中したらしく、
主な滞在場所にした台湾中央に位置する盆地では爽やかな好天に恵まれました。


台中公園   台中

台北、高雄に次ぐ台湾第三の大都市台中にある公園で、1902年に設立されました。
画面中央左側の池に浮かぶ建物は、日本統治時代だった頃に建てられた物です。


デ・ジャ・ヴ   仁愛

地方の都市を結ぶローカルバスの小さなバス停に降り立ちました。
集落に入ると、ずっと昔から知っている場所のように感じてしまいます。


タイワンモンシロチョウ   埔里

日本でも長崎県の対馬で定着、八重山の与那国島と西表島で
迷蝶として見られる種類ですが、さすがに本場台湾では数多く見掛けました。
しかし、中々敏感で近付くのが難しく、撮影には予想外の苦労を強いられました。


高原の町   霧社

台湾が日本統治下にあった1930年、先住民のタイヤル族による抗日蜂起がありました。
これが「霧社事件」と呼ばれるもので、その後の日本軍による報復等で子供も含め、
双方に多数の死傷者が出る痛ましい結果となってしまいました。合掌。


水里駅   水里

1日9往復のローカル線が走る田舎の駅ですが、ここにも迷彩服を着た軍人さんの姿が。
台湾という場所の微妙な立場を実感したような気がします。


ルリモンジャノメ   埔里

これは日本には生息しない種類で、一見タテハチョウに見えますが、
ジャノメチョウの仲間です。かなり黒っぽい色をしたチョウでしたが、
冬の柔らかな日差しが、背景との輝度差を和らげてくれました。


眠らない街   埔里

台湾では、バスの路線網が発達しています。
中核となる都市を結ぶ路線では24時間運行も珍しくありません。


虹のシャワー   魚池

噴水に朝の光が差し込んだ瞬間、
龍の口から魔法のように虹が現れました。


メスアカムラサキ   埔里

かなり翅の傷んだ個体でしたが、八重山で見掛ける時と同様、
本種の好みそうな丘の上を元気に飛び回っていました。


集集駅   集集

集集駅は日本統治時代に建設された建物で、長い間当時のまま利用されて来ましたが、
1999年9月21日の地震により大きな被害を受け、倒壊の危機に直面しました。
当初は新しい駅舎を新築する計画もありましたが、文化遺産としての
観点から元の材木を利用して原型通りに復元されました。


タニワタリの1種   魚池

大型のシダ植物で、八重山で見掛けるオオタニワタリより、葉の幅が広い感じがしました。
公園に植えられていた所をみると、園芸品種なのかもしれません。
黒く筋状に見えるのは胞子の入った「胞子のう」です。


市場にて   埔里

食文化が豊かな台湾の市場には、色とりどりで形も様々な商品が並んでいます。
冬でも日中は25度位まで気温が上がるため、ハエ除けのプロペラが回っていました。


オナシアゲハ   埔里

日本では主に与那国島で、しばしば迷蝶として見られる種類です。
「オナシ」とは「尾無し」の意味で、アゲハの仲間に多く見られる
尾状突起を持たない所から名付けられました。


歓迎光臨   埔里

左の看板に書かれている文字「歓迎光臨」が台湾の「いらっしゃいませ」です。
お店に入ると声を掛けられるわけですが、「歓迎」の発音が「ワーリィ」と
聞こえました。これは八重山の与那国島の方言と同じ発音です。
考えてみれば、台湾から与那国島までの距離は僅か111キロ。
貿易が盛んだった時代もあるので、偶然ではないでしょう。


  檳榔(ビンロウ)畑   集集 

幹が細くて背の高いヤシ科植物で、その実は「檳榔子」という嗜好品になります。
これは一種の合法ドラッグで、台湾のあちこちで売られているのを見掛けます。
したがって、この風景は本来の植生ではなく、作られた環境なのですが、
いかにも南国の田舎らしい、のどかな雰囲気を演出していました。


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